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今日は朝から冷たい雨が降り続いています。ご無沙汰しております「爺河童」です。
<粛々と世事にはぶれずお水取>今日の朝日川柳に出ていました。
従軍慰安婦問題で時の政権、メディアから、袋叩きに遭っている最近の「朝日新聞」の社説、論調、天声人語、などを一読する限り、従来のような鋭さや勢いが感じられませんが、平成27年2月25日(水)付けのコラム「天声人語」に眼が留まりましたので、ご参考までに引用します。
「唱歌教育のためにまとめられた明治初期の報告書に、次のような“音楽と人間形成” をめぐるくだりがあるそうだ。幼い頃から長調で教育された者は勇壮活発の精神を発揮するのに対して、短調で教育された者は、柔弱憂鬱の資質をなすー▼渡辺裕さんの著書「歌う国民」に教えられた。富国強兵を掲げた時代は「長調的な明るさや勢い」を求めたのであろうか。 以下略」
―このコラムで掲げた「富国強兵」は、止まらない現政府の拡大志向、海外での自衛隊の活動の歯止めを次々に外そうとする積極策へと繋がり、<どうしても派兵をしたい首相持ち>(朝日川柳)、自民党の歌声ばかりが高くないか、の本論に迫って行きます。
さて、偶々昔購入して禄に読んでもいなかった渡辺裕著「歌う国民」を思い出し、該当する箇所を開いてみました。
Page18,19 「長調と短調」:-幼いころから長音階で教育された者は、「勇壮活発の精神を発育し、有徳健全なる心身を長養する」のに対し、短音階で教育された者は、「柔弱憂鬱な資質を成し、無力多病なる気骨」になるということであり、短調の曲が多い国は、未発達な国であり、先進的な国であればあるほど、長調の率が高いという、聊か怪しげな議論が展開されています。と、明治初期に出された、伊澤修二音楽取調掛がまとめたとされる「音楽取調成績申報書」に言及しています。
また、渡辺裕氏は、「歌う国民」で、「唱歌」は明治政府が富国強兵策として進めた、「国民づくり」のツールとしての音楽教育であったのではないかと結論づけています。
「文部省唱歌」は、1910年(明治43年)の『尋常小学読本唱歌』から1944年(昭和19年)の『高等科音楽一』までの教科書に掲載された楽曲。1910年代から尋常小学校で教えられた。なお、1900年代までの翻訳唱歌は「文部省唱歌」に含まれない。と、Wikipedia に出ています。
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