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インターハイ競泳大阪府予選会のころ

 投稿者:爺河童  投稿日:2013年 1月25日(金)16時25分12秒
  インターハイ競泳競技大阪府予選会の頃
仁田先生のご明察通りです。中学校の担任MY先生に巡り会え、いろいろな教えを頂いたことは、その後の私の人生への大きな道標となりました。中学三年生の二学期が終了したある日、高槻市にあった先生の家に招待されました。「高校を出たら、松本君は、早う就職したいと聞いているけど、高校は普通校に、そして、大學には絶対に行かなあかんよ」
「なんやったら、学費は、私が出してやってもいいと思うてる」と、まるで、小説の中、か、映画の場面のようなことが起こりました。「通学を考えたら、茨校(茨木高校)か 春日丘が、ええと思うけど、先生は」と畳み掛けられましたが、到底、即答は出来ません。「ありがとうございます。うちに帰って両親と相談します。」帰り道は、うれし涙とくやし涙で
目の前は曇りっぱなしでした。
 結局は両親への負担の軽減と、二人の弟たちのために、工業高校から就職する道を選びました。ラグビー部が、花園高校、京都の伏見工業高校などの強豪高校と覇を競っていた「淀川工業高校」電気科に入学しました。

♪♪ 第一のコース、松本君、淀川工業高校、第二のコース、谷口君、北野高校、第三のコース、福島君、都島工業高校、第四のコース、木戸君、桜宮高校、第五のコース、山中君、天王寺商業、第六のコース、中村君、野田工業高校、第七のコース、原口君、春日丘高校、第八のコース、茨木高校 ♪♪と甲高い女声アナウンスの声が、大阪扇町屋外公認50メートルプールとスタンドに響き渡りました。これは、私が高校2年生の夏、インターハイ大阪府予選に出場した時のシーンです。男子自由形200メートル競泳予選2組目の出場選手の紹介です。当時、競泳種目のコース設定は、持ち時間が一番早い選手順に、5コース、4コース、6コースに振り分けられ、最も遅い選手は、第一コースか、第八コースに割り当てられるのが常でした。第二次予選、第三次予選、準決勝、決勝のコース割り当ては、その前の競技で出した「持ち時間」が次の試合のコースを決める基になっていました。現在のオリンピック水泳競技でも、この手法が踏襲されているようです。私の結果は申すまでもなく、第一次予選で敢え無く敗退。決勝まで勝ち残って行くのは、何時も、「桜宮高校」と「天王寺商業」の選手でした。この二つの高校の名前は、今なお私の記憶に残っています。当時からこの両校は、スポーツに大きな力を注いでいたことがわかります。
そうです。淀工では、クラブ活動は費用の掛からない「水泳部」に入部しました。「プール」は完成したばかりの「25メートル屋外プール」でした。スタート台は7-8センチの高さでしたが、
扇町屋外プールのスタート台の高さは、70センチから80センチほどあり、自分の名前が呼ばれ、このスタート台に上るだけでも、全身に震えが走ったものでした。
「およぎ」は熊本県鹿本郡に住んでいた頃、近くに流れる清流、「菊池川」で近所のガキ大将等とともに自己流、自我流で覚え、水泳にはいっぱしの自信を持っていました。ところが、水泳部の練習は、想像を遥かに超える過酷なもので、入部早々、何度も退部を考えましたが、ここで退部したら、「男が廃る」とばかり、三年間、歯をくいしばって、何とか続けることができました。
顧問の「体罰」が原因でバスケットボール部の主将が自殺した『桜宮高校』のことが、連日報道されています。ここでも、同僚教諭、教頭、校長、教育委員会が敢えて口をつぐみ、証拠隠蔽を図っていた疑いが濃厚です。遺族がこの顧問を相手取って「暴行罪」で起訴しました。橋下市長の暴言、「体育科」「スポーツ健康科学科」の入試見送りが、生徒や受験生の心を踏みにじる結果を招いています。安倍首相の極右教育観と橋下市長のそれとは似かよったところがあり、行く末、不気味さを感じます。
体罰顧問の処分が先決ではないでしょうか。
大阪市立の普通校にしては「体育科」や「スポーツ健康科学科」など、初めて耳にする学科があり、驚くばかりですが、新聞に「流水プール」「室内温水プール」「合宿施設」完備とあっては、感嘆・驚嘆しています。「流水プール」とは、恐らく、水流のあるプールのことで、流れに逆らって泳ぐことで、体力増強を図るためではないでしょうか。マラソンランナーが酸素の薄い高地でトレーニングを積むようなものでは、と思っています。また、「温水プール」「合宿施設完備」と、きてはもはや、市立高校の範疇を超えているのではとの思いがしますが、これも、時代の流れなのかなとの思いも、また、湧いてきます。



 
 

ありがとうございました

 投稿者:仁田  投稿日:2013年 1月24日(木)23時30分58秒
  爺河童さん、書き込みをいただきありがとうございました。すばらしい先生と出会われたご経験をお持ちだとのこと。その学校での生活は幸せで夢ふくらむ思いに充ちたものだったでしょうね。爺河童さんのその先生との出会いは、その後の人生(生き方)を決定づけるようなものだったのだろうと想像できます。
いじめや暴力、体罰などが多発する近年の社会状況を思うと残念な思いが募りますが、そうした経験を持つことなく悔しい思いで生きることに後ろ向き、あるいは投げやりにならざるを得ない子どもたちの心情を察すると、いっそう悲しい思いに駆られます。
もともと日本はそのような国ではなかったようで、古くから日本を訪れた外国人の多くが「おだやかでやさしく子どもを教育する日本人」に驚愕し、記録に残しているようです。
遙か昔から、少なくても私たちの子ども時代まではそうした傾向が濃厚だったと思われるのですが、高度経済成長期を経てバブルがはじける頃にかけて徐々に失われてしまったことの中に、そうした「日本人の好ましい資質」があるような気がしています。
体罰の話題を耳にするたびに思い出すことがあります。私が小学校4年生のときのこと、骨髄炎で長く患い、どうしても完治せず左足が不自由になってしまった近所の先輩がいました。治療のために留年せざるを得ず、1年遅れで6年生になったその子の母親は、修学旅行を間近に控えた時期に担任にこう申し出たそうです。『この子が修学旅行に行くと、足手まといになりクラスの友達や先生に迷惑がかかるはず。だから修学旅行への参加は遠慮させてください』。
すると、担任の先生は連絡を受けたその晩に早速家庭訪問し、心配せずに参加させてください、○○ちゃんは私がおんぶしてでも連れていきます。なんと言っても修学旅行は一生に一度のことですから、お母さんは何も心配せずに帰りを待っていてください。
彼は先生の背に負われて無事に修学旅行に参加することができ、帰ってきた時には輝くような顔で東京旅行の土産話を得意げな顔で語ってくれました。お母さんは、その担任の先生に手を合わて感謝したと涙ながらに私の母に語っていました。その場に居合わせた私も、子どもながらに感動しもらい泣きをしながら『先生って偉い』と強烈に思ったものでした。
翌年になると、その先生が私たちの担任になってくださいました。その先生に出会えたことと日々の教えは私のコアを形作っているようで、教職を志したのも無意識ながらその先生の影響があったのかも知れません。
でもそうした傾向は、その先生だけのものではなく、ほかの多くの先生方もお持ちだったのではないかとも思っています。指導のバックボーンに「子どもを愛する」「その子のことが心配だ」「よりよい育ちを願う」という様子が子ども心によくわかり、一人ひとりを我がことのように思って見守り語りかけてくれる先生が多かったからです。
自分の成果のために子どもを指導しようとすると、いきおい「言うことをきかせよう」としてしまいがちですが、子どものために指導しようという姿勢からは「力でねじ伏せよう」とか「自分の命令や指示に従わせよう」という接し方は出てこないはず。
部活動の練習成果は、単に優秀な成績を収めることだけにあるのではないはずなのに、スポーツの試合などで良い成績を上げると「優秀な先生」「指導力のある先生」ともてはやされ、その学校も良い評価や評判を得るという風潮が「体罰を容認する指導」を生む一つの要因になっているのではないかと考えています。

体罰は有無をいわせず「力で従わせる」ということですから、指導とは言えないはずです。ですから「体罰」の話を見聞きするたびに、この時の先輩の顔、お母さんの顔、先生のたたずまいが思い出されてしまうのです。
こうした話題が耳にすることがなくなるような国に立ち戻れば良いが、と思われてなりません。
 

「いじめ」「体罰」は担任・顧問次第

 投稿者:爺河童  投稿日:2013年 1月23日(水)22時43分31秒
    新年早々私事で恐縮ですが、私は、父親のたび重なる仕事替えの都度、小学校、中学校の転校を余儀なくさせられました。母親の郷の九州は熊本県鹿本郡を振り出しに、山口県防府市、そして大阪へと東上の果てに辿り着いた所は、大阪府三島郡鳥飼村という淀川堤防沿いにある村落でした。近くには、鐘ガ淵化学(カネカ)工場群があり、その下請けの末端下請け零細企業の配管工の職に、父親がようやくありついたというわけでした。
  山口県防府市立勝間中学校から、大阪府三島郡鳥飼村立鳥飼中学校の一年三学期に転校編入しましたのは、今から68年前の昭和30年1月のことで、運動靴の底からしのびあがる冷気には、往生した思いがあります。転校の度の「いじめ」、上級生、教師、教諭から殴る蹴るの「体罰」は当たり前の時代でした。「いじめ」と「体罰」がすっかり影を消したのは、鳥飼中学校に転校してからと記憶しています。この中学校は、全校生徒80人以下、教職員数10名という、山間地の分校のような小さな中学校でしたが、全校が一つの家族のような親しさのなかにあり、心地よい暖かさに包まれているような雰囲気がありました。貧しく何もない時代でしたが、学校に行くのが楽しい時期でもありました。
  校長先生以下担任、応援講師に至るまで、親身になって指導・教育に携わり、特に担任のMY先生は、「松本君これ読みなさい」といって、『次郎物語』を貸してくれました。当時の国語の教科の主題は島崎藤村の『千曲川のスケッチ』でした。その次に貸して頂いたのは、少し難しい五味川純平の『人間の条件』でした。長じて、藤村の「破戒」「夜明け前」「新生」「初恋」などに手を伸ばす遠因となりました。
 「松本君、次の日曜日、映画、観に行かへん?阪急デパートの一階の案内所前、10時にね。」連れて行かれた映画館では、封切られたばかりの洋画、「ノートルダムの○○○男」(最近は「ノートルダムの鐘」というそうです。)が上映中でした。総天然色の大型スクリーンにど肝を抜かれました。ギリシャ系アメリカ人男優、アンソニー・クインとイタリアの女優のジーナ・ロロブリジータの演技が印象的でした。ノートルダム大聖堂の鐘撞き男と踊り子の悲恋物語でしたが、これが私の洋画への開眼となりました。と同時に外国への憧れが芽生えてきました。相前後して、今度は音楽講師のM先生から声が掛かりました。「次の三島郡中学校音楽会に、うちの中学を代表して、リコーダーを吹いてくれへんか。代表は君と増田君の二人や。演奏曲は君が「平城山」、増田君はビゼーの「メヌエット」だ。」と一方的でした。音楽会当日は、体全体を上気させ、体全体を震わせながら「平城山」を吹いた記憶が残っています。クラブ活動は「野球部」に籍を置き、最初はライト、後年はファーストを守りました。郡大会で2塁打を打った感触は未だに掌に残っています。担任のMY先生は「女子バレー部」の顧問をしていましたが、全生徒から慕われていました。
 「いじめ」や「体罰」問題が出るたびに、恩師MY先生や音楽講師のM先生とともに学んだ鳥飼中学時代が懐かしく思い出されます。残念ながら、近年の市町村合併により、鳥飼中学校は三島中学校に併合され、消滅してしまいました。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:仁田  投稿日:2013年 1月 7日(月)21時48分6秒
  爺河童さん、書き込みをいただきありがとうございました。そして、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。
慌ただしい師走の総選挙で政権が変わり、年明けと同時に新政権がスタートしました。
昨日の報道では、総理直属の「教育再生会議」が復活・発足すると報じられ、またもや3年前の教育界にとっては迷惑でしかなかった制度改革に拍車をかける兆しが見え、懸念したとおりのことが起きようとしています。
その他にも浮薄としか見えない金融緩和や公共事業推進による景気浮揚策、デフレ脱出などアベノミクスと呼ばれる経済対策を歓迎する動きにも、深い懸念を抱かざるを得ません。
また、何と言っても右傾化の姿勢を強めるこの政権は、昔の「富国強兵策」さながらに強さを追求するあまり、自衛隊を国防軍にするといった主張も緩めておらず、そのために世界に誇るべき平和憲法をも改めようとしており、年末の総選挙における国民の選択が『あれが間違いの始まりだった』と将来に禍根を残すことになりはしないかと憂いています。
富国強兵の一環として、原発の再稼働だけでなく新設も検討するとの談話に、改めて怖れを感じた国民も多いかと思いますが、この始まったばかりの2013年が日本にとって大きなターニングポイントになるような気がして、暗澹たる思いでいる、というのが現在の正直な感想です。
力で対立や衝突を解消できると考えているとすれば、一国の宰相としてふさわしい資質を持っているとは思えません。返す返すも「自民党に勝たせすぎた」国民の責任は大きいし残念だと言わざるを得ませんが、日本が酷い状況にならないように見守っていくことが必要だろうと、正月早々明るい気分になれない自分を励ましながら見つめているところです。
 

(無題)

 投稿者:爺河童  投稿日:2013年 1月 6日(日)12時51分22秒
  明けましておめでとうございます。
今年は、穏やかで明るく心地よい寒さの中で巳年元旦を迎えましたが、この快晴が、七草粥をいただく明日の朝まで続く模様で、嬉しい限りです。
昨年は身近なところでいろいろな出来事がありました。

2012年の日本は、拉致問題、経済問題、国境問題、国防問題、安全保障問題などで、隣国との外交がギクシャクし始めた年でもありました。このような状況の下で、国境を接する隣国のトップの顔ぶれが大幅に代わった年でした。国民不在の密室談合で、しゃんしゃんと決められたり、民意を無視して強引に返り咲いたり、薄氷の差で再選されたり、とにかく、各国の政権の闇の部分が浮き彫りされた年でもありましたが、ある意味では、「ロンドンオリンピック」と共に、歴史に残る年となったことは間違いないようです。
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党第一書記(世襲)、ロシアのウラジミール・プーチン大統領(力任せの返り咲き)、中国の習近平総書記(中国共産党内部での談合密約)、アメリカのバラク・オバマ大統領(公選・再選)、韓国の朴槿恵大統領(凶弾に倒れた父君並びに母君の弔い合戦、公選)、日本の安倍普三首相(米国海軍無償支援法=インド洋補給支援法延期が否決されると早やガテン、国政を投げ出し、某病院に逃亡した輩が、相次ぐ民主のOwn Goalsによって、棚ボタ式、思わぬ返り咲き)等などが挙げられます。叶わぬ願いですが、各国首脳には、原子力・軍事力に頼る政治・外交から脱却して、お互いにオトナの話し合い、会話によって、平和追求・和平交渉のための外交・政治に努めて欲しいものです。私の個人的意見として、画期的な出来事と言えば、近くて遠い国韓国に、初めての女性大統領が誕生したことです。
私の最初の海外旅行先は韓国でした。1969年5月の連休を利用して友人2人を誘い「韓
の国」に出かけました。伊丹―ソウル-釜山―慶州―福岡―伊丹がルートでした。海外旅行が解禁になったのが1964年、それから5年後の時で、大阪万博‘70の前の年でした。私が27歳に達した時でした。(1)


 

ありがとうございました

 投稿者:仁田  投稿日:2012年10月11日(木)23時06分5秒
  爺河童さん、書き込みをいただきありがとうございました。
ご指摘のように、対露、中、韓、台、そして対米と外交問題が山積。さらには国内でも特例法案など重要な法案の審議がなされないまま、臨時国会が持たれない、という党利党略しか念頭にない各政党の思惑で、日本の政治は手詰まり状態のように見受けられます。
まさに内憂外患を絵に描いたような状況で、暗澹とした心持ちにさせられます。

それにしても、さまざまに言辞を弄して自国の論理を主張する、この中・韓二つの国をどう理解しどうつきあえば良いのかと戸惑うばかりですが、折も折おもしろいというか興味深い本を見つけました。
黄文雄という台湾のジャーナリストが書いた「日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか(徳間書店)」という本です。
以前からおぼろげながら、中華思想が影を落としているのではないか、と私たちの理解を越えたこの二つの国の動向を見ていたのですが、どうやらそれは的はずれではなかったことが改めてわかった次第。
やっかいな国を相手に石原都知事の挑発に乗って尖閣列島の国有化に踏み切ってしまった現政権に、それなりの覚悟と見通しがあったのかどうか、素人の私にわかるはずもありませんが、ただ政権をとりたかったためだけに甘い言葉を国民に投げかけてきた現与党に先見の明があった、あるいは展望があったとは思えません。
今でも、臨時国会を開ける状況にあるにもかかわらず、国会を開会してしまえば不信任案などを出され「解散要求」をされてしまうのではないか、という自党の都合だけで国会の開会に踏み切れず、立ち止まったままでいるところを見ると、単なる政治屋になりさがってしまった政権与党の姿にしか見えません。困ったものです。
今日の朝刊、文芸欄への読者投稿欄に次のような川柳を見つけました。
『口ほどにものごと何も捗らず』
原発で被災し困難な生活を送っている人々、約束を破って市街地の上を飛行訓練しているオスプレイの恐怖におののいて生活をしている人々、地方交付税の交付が遅延しているため地方自治体が困窮し、市民生活に影を落とそうとしているなど、一日でも一時間でも早く対処しなければならない問題ばかりが山積している中で、のんきに構えている姿からは「生活者意識」の希薄さだけが透けて見えます。ポピュリズムも困る、しかし国民からの乖離はもっと困ると思っている人々は多いはずです。

政治の素人だから無責任にこんなことを言っていますが、それは政治のプロなら「確かな哲学と鋭敏な眼、対応力」を持っているはずだと頼もしさを感じたい思いの裏返しでもありますが、それも肩すかしに終わるのでしょうか。残念な状況が続いています。
 

「困ったものです」-2

 投稿者:爺河童  投稿日:2012年10月 8日(月)16時55分58秒
    拉致問題は北朝鮮、北方領土はロシア、竹島は韓国、尖閣諸島は中国、台湾など、第二次世界大戦で日本が侵略し植民地化した隣国との間で、国際的問題として浮上し、日本外交はニッチもサッチもゆかない状態に置かれています。これらの領土問題は混迷を続けている国内政治に一層の撹乱の渦を起こしています。この責任は現政権政党にあることは言うまでもありませんが、彼らに一票を投じた国民にも責任の一端があることは確かです。
さらに追求すれば、歴代政権、歴代省官庁官僚の無責任・無作為に拠るところ大と言えるかも知れません。
  今、日対中韓台で起きている領土問題は、近・現代史につながる歴史認識・歴史教育問題ですが、日本以外の国々では、どこへ行っても「戦争記念館」「戦争博物館」が存在し、そこでは、戦争中に起きた殺戮状況を、写真、絵画、音声、スクリーン、蝋人形で赤裸々に、リアルに表現して、戦争の惨さ、残忍さを訴え続けています。かの地では小中高校でも教え続けており、これが日常的に行われています。小生が、業務で出張した撫順、長春、ソウル、シンガポール、ジャカルタなどの主要都市で、これら「戦争記念館」で観賞したことがあります。
  翻って日本ではどうでしょうか。北方領土、竹島、尖閣諸島などが歴史的にそして国際法上からも日本の領土だと、小学校、中学校、高校、大学で、そして社会(メディア)で、国民に教えてきたでしょうか。近・現代史に無知で、国境線や領土問題に対する国民の無関心さは、国民自身の責任でもありますが、外務省、文科省(旧文部省)、受験勉強に汲々としてきた教育機関、そして「メディア」にもその責任は等しく存在するのではないかと思ったりしています。

  優秀で有能な官僚が編み出した官製造語、いわゆる「霞ヶ関修辞句」を「メディア」は、その真意を探ろうともせず、真相を確かめもせずに、鵜呑みにして、鸚鵡返しで、官製造語そのままを報道で、流し続けている様は、「よらしむべし・しらしむべからず」とする、時の政権の意向を汲んだものと解せましょうか。
あくまで個人的に気になっている「霞ヶ関修辞句」数々を、ここでご紹介しておきます。
(順不同)
「新型輸送機オスプレイ」:(最新鋭軍用機オスプレイ、但し製造価格1機当り約70億円)
「イージス護衛艦」:(最新鋭レーダー、ヘリ、ミサイル搭載、対空、対艦、対潜水艦用駆 逐艦。英文名Destroyer、護衛はこの戦艦に与えられた任務、但し建造費は1艦当り、
 約1230億円)
「日清戦争・日中戦争」:(中国侵略戦争)、
「韓国併合」:(韓国植民地化)、「台湾統治」:(台湾植民地化)、
「終戦」:(敗戦)、「国連」:(戦勝国連合、UN=United Nations)、
「日米平和・文化交流協会」:(日米産軍共同会議)、
「インド洋補給」:(ペルシャ湾内補給)、
「整備新幹線」:(新規新幹線建設)、「道路整備局」:(新規道路建設局)、
「外国人実習生、外国人研修生」:(低賃金外国人労働者)


 

困ったものです

 投稿者:爺河童  投稿日:2012年10月 8日(月)12時26分34秒
  「混迷を続ける国内政治」
自民党の好き放題の長期政権に嫌気がさした国民の支持を味方につけた民主党は
「脱官僚」「埋蔵金発掘」「事業見直し」「コンクリートから人へ」などの総花的マニフェストを掲げて総選挙で圧勝、念願の政権奪取に成功しました。しかしながら、初代総理の「鳩山氏」は沖縄米軍基地返還問題で米国の逆鱗に触れ敢え無く撃沈、代わった「菅直人氏」は、予期せぬ東日本大震災と福島原発爆発事故に遭遇、官僚の反発にあい、力尽きて代表の座を「野田氏」に譲渡。「野田氏」は批難轟々のなか、「消費税値上げ法案」を通し、今に至っています。担当大臣の顔ぶれも総理が代わるたびに入れ替わり、何方がどこの省の大臣やらいちいち覚え切れません。民主党は右思想から左思想を抱える所詮は寄り合い所帯の上、元来保守恩本流の流れを汲む破壊者「小沢氏」を抱えておりました。しかし彼は菅氏、野田氏に反抗・反対、内乱を起こし、「国民の生活第一党」と国民を小馬鹿にした党名をつけて、一族郎党を引き連れて離党しました。民主党は瓦解寸前の状態にあります。
やがて来る衆議院議員選挙では、国民の自覚、見識、民度、民意が試されることになります。
 

ありがとうございました

 投稿者:仁田  投稿日:2012年 9月30日(日)21時39分53秒
   森さん、書き込みをいただきありがとうございました。
 また、過分なお褒めの言葉をいただきましたが、『それが望ましい、そう在れ』という励ましのお言葉として受け止め、努めていきたいと思います。
 ところで、このところの政治の動きとそれを受けての世論を見ていますと、何やら恐ろしい思いを禁じ得ません。自由民主党の総裁として右傾化の象徴のような安倍氏が選ばれ、一方では乱暴な言説で「変革」を言い立てて世間の耳目を集める橋下氏が率いる維新の会が旗揚げし、それに国会議員がすり寄っていくという図式が、何かやってくれそうな強いリーダーを求め、世界に向けてその強さを誇示したり発動したりしたいという国民の欲求の底にドロドロと渦巻いているようで不気味なものを感じさせるからです。

 成熟したいまの日本に、戦前や戦中のような「全体主義」「国家主義」の危険性はないのかも知れませんが、そうしたことをノスタルジックに希求する指導者が選ばれたことを『良いのではないか』と受容できる心情が国民の中に幾分でもあるとすれば、戦後民主主義、そしてこれまで貫いてきた平和主義の危機だと思っています。
 改革や変革という言葉には、人々を興奮させる効果があるようで、その変革を受け容れ認めることで「一体感が味わえる」という錯覚を招きやすいように思われます。強い指導者のもとで国民的な団結を感じたいと、それとなく、そして安易に国民が願っているとすれば国民の見識が一歩後退してしまい、成熟とは逆の方向に歩み出してしまうのではないかと懸念されます。

 ここは一つ、国民がしっかりとした見識を持ち、時代に逆行するような政治家や官僚の出現は御免被るという意思表示をすることが大切なのではないかと思っています。
 国民がどのような政治を望んでいるか、そのためにどのような政治家の出現を期待しているか、ということについて意思を表明していくことは、森さんのおっしゃる「政治家を育てる」ことと相通じるものがあると思っています。
 残念なことに、政治や行政の目的がどこかに置き忘れられ、政権を獲ること、そして権限を行使することだけにあるように見受けられる政治の状況が続いていますが、国民が求めているのは「強い政治家」ではなく「確かな理念を持った政治家」だということを常に言い続ける必要があることを国民が忘れないことが大切なのでしょうね。
 

Re: 人を動かす

 投稿者:森 彦昭  投稿日:2012年 9月28日(金)22時29分51秒
   こんにちは!牛久フロイデ混声合唱団のテノール森彦昭です。いつも仁田先生にはお世話になり感謝しております。世の中、昨年の大地震や大津波そして原発の人災事故以来、日本をとりまく隣国との間もギクシャクして政治も大きく振り子が振れそうな感じもするような時代に入ってきたと思っています。第二次世界大戦いこうの日本人の行動は世界からは評価が高いほうだったと思いますが現在の日本人の評価はどうなのでしょうか?扇動的な発言をくりかえし日本人を動かそうという集団もでてきていますが、軍人として山本五十六が残した次の言葉は「人を動かす」というところで意味深いものがあると思っています。

”やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ。

 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

 やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。”

 合唱の世界では多くの指導者のもとに歌ってきましたが、仁田先生は、いみじくも山本五十六が残したメッセージを超える感性で牛久フロイデ混声合唱団の人材を育てていただいていると思います。特に、一行目のメッセージは120%実行されていて素晴らしいといつも思っています。

 ところでこのメッセージの「人」を「政党人」にかえて「国民」が政党人に対して育てることをやっているかなぁという観点から読んでみると少々身につまされます。もしちゃんとしたステーツマンを育ててないと日本人は世界の人達からよく思われない人間となるわけで、人類の歴史に残るようなステーツマンを日本人は本当に育ててきたかなぁと思ったりします。今後とも世界に対していい影響を与える日本人になるためにはできることを自らやっていかないといかんなぁと思います。
 

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