teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


新着順:11/332 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

イスラム国勃興・台頭の因は

 投稿者:爺河童  投稿日:2016年 2月26日(金)19時58分25秒
  通報
  シリア内戦の停戦を巡り、米・ロの外相は21日、「暫定合意」を発表しましたが、一方、過激派組織「イスラム国ISIL」はシリアの首都ダマスカス他で連続爆破事件を起こし、 200名近い死傷者を出したと今朝の新聞で報じています。
「アラブの春」の動きに触発されて勃発したシリアの強権独裁「アサド政権」と反体制「自由シリア軍」のシリア内戦は、プーチンロシアがアサドの後ろ盾となり、一方、自由シリア軍へは穏健派アラブ主要国と米国が立ち、この二大勢力の間に、第三勢力と言われる「ヌス?戦線過激派組織」 そして、第四勢力としての「イスラム国IS」が加わり、シリア内戦は四巴の勢力・組織・派閥・宗派が参戦、複雑に絡み合って混迷を極める現状から判断するに、「停戦」、「終戦」に辿りつくまでの道のりは予測不可能な状態だと思います。
何故、アラブ同士、アラブに近いペルシャ、クルド、トルコ、そして、東方正教会のロシア、加えて、キリスト教国の欧米諸国とが、このような衝突を繰り返し、殺戮が絶えないのでしょうか。
この争いの根底には、根源には、我々日本人には到底思いもつかない、確執、軋轢、怨念、恨みつらみ、敵討ち、復讐心があるに違いありません。その一つが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つどもえの「宗教戦争」です。同じ神を崇め、同じ民族同士の近親憎悪の陰惨な戦いが連綿と続いて来たと言えましょう。さらには「聖地エルサレム」を己の聖地と主張してやまないこの三大宗教の衝突が続いています。キリスト教の軍隊組織、「十字軍」は、1096年から1272年の176年の間に10回近くもエルサレム奪還に赴き、非道の限りを尽くしたと伝えられています。この「十字軍」の破壊、殺戮、虐殺、惨殺、略奪、無慈悲などが、ユダヤ教徒やイスラム教徒に、拭え切れない怨念として残されているのではないでしょうか。2014年6月に「イスラム国家」建国宣言を行ったISILは、日本も加盟した、米国を主体とする有志連合国を、現代の「十字軍」と呼び、日本国並びに日本人をも、「十字軍」の一員として、ISILのテロの攻撃の目標に定めました。
二つ目としては、英仏ロによる三枚舌外交、「サイクス・ピコ協定」他の密約にあるものと思います。Webの力を借りて整理しますと、こうなります。
① イギリスはフサイン=マクマホン協定の中で、オスマン帝国に対する反乱を行えばアラブ人の独立を支援すると合意した。
② イギリス、フランス、ロシアは1916年のサイクス・ピコ協定でアラブ人の土地も含むオスマン帝国領を三分割する密約を交わしていた。クルド人は分断された。
③ 1917年にはイギリスはライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に対しパレスチナでのユダヤ人居住地(ユダヤ人民族郷土)建設の約束(バルフォア宣言)を交わしていた。
④ 第一次世界大戦後にイギリスとフランスが行った中東分割はこれら三つの秘密協定が相互に矛盾しないように行われていた。
⑤ 1917年11月の十月革命でボルシェビキがロシア臨時政府を打倒すると、革命政府は旧ロシア政府が結んだ「サイクス・ピコ協定」を暴露した。
⑥ 反乱中のアラブは、この秘密外交の存在に反発を強めた。
仁田先生のブログ、「テロ行為は何に起因するか」-続、続々、そして「テロの根源にあるもの」-続、続々に詳しく解説されています。まさにその通りなのです。

私たち日本人の雑駁な歴史観は、中学・高校の学校教育の中で学んだもので、縄文時代から始まり、って、せいぜい江戸時代ごろまでの主な事変・政変・文化的出来事など、うわべだけをザーッとなぞっただけの、吹けば飛ぶような薄っぺらなものだと思います。今、世界で起きている紛争や諍いを理解する上で、大切な「日本の近現代史」や「欧米の歴史」を知りません。ただただ、不勉強を恥じるだけの昨今です。

元NHKの記者で、「子供ニュース」を担当していた池上彰氏の「時事問題解説」が、一番分かりやすく、この時代に即した番組だと私は思っていますが、彼自身、或は彼を起用するTV局が安倍政権の監視リストに既に記載されているのではと、危惧しているところです。

さて、先日の月曜日、NHKBS3で「アラビアのロレンス」が上映されていましたので、最後まで観てしまいました。約3時間45分の長編でした。
監督は英国の巨匠、デヴィッド・リーン(David Lean、1908年3月25日 - 1991年4月16日)。スティーヴン・スピルバーグや、マーティン・スコセッシなど次世代の映画監督に多大な影響を与え、特にスピルバーグは高校生の頃に『アラビアのロレンス』を見たことで映画監督を目指すことを決心したと語っており、彼を偉大なる師として尊敬。リーンの自然主義的な作風はスピルバーグに大いに受け継がれており、『アラビアのロレンス』『戦場に架ける橋』『ドクトル・ジバゴ』は撮影前に必ず見直す作品だと語っているそうです。これに付け加えるとすれば、デヴィッド・リーン監督のアイルランド独立運動を描いた「ライアンの娘」ではないかと、私は思います。

『アラビアのロレンス』(Lawrence of Arabia)は、1962年のイギリス映画。歴史映画。デヴィッド・リーン監督、ピーター・オトゥール主演。実在のイギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスが率いた、オスマン帝国からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を描いた歴史映画。戦争映画。日本での公開は1963年12月。私が22歳の時、大阪で観ましたが、当時の感想は、壮大で、広大な砂漠で、繰り広げられる戦争というイメージでした。
原版を最新の画像に編集されこの映画を拝見して、鑑賞文化勲章を授賞した平山郁夫作の「シルクロード、月下を行くラクダの商隊」を思わせるシーンが数回ありましたが、史実に基づいたノンフィクション映画であることを再認識しました。馴染みの地名、カイロ、アカバ、ダマスカスが繰り返し出現し、更には、七つの海を支配し、世界制覇を目論んだ英国紳士の狡猾さ、したたかさ、権益中心主義の手練手管が垣間見えました。自国の軍人「アラビアのローレンス」さえも欺き、密約 「サイクス・ピコ協約」 の所在を明らかにして、「アラブ独立」に奔走してきたローレンスに冷水を浴びせかけたのです。
「イスラム国 ISIL」の勃興・台頭の根源はこのあたりにあるものと思います。


 
 
》記事一覧表示

新着順:11/332 《前のページ | 次のページ》
/332