|
|
仁田先生の9月27日付け「日記独り言」に、最後まで日本の声楽界の発展と普及、後進の指導に心を砕かれた誠に惜しい人を失ったと、五十嵐喜芳氏の訃報を取り上げられておられました。実は、その昔、小生も、五十嵐喜芳氏のステージで歌った経験がありますので、この突然の訃報は、信じられない思いで耳にしました。
小生が香港駐在中の1991年3月10日, 香港のCity Hallで行われた[The 4th Hong Kong-Japan Joint Charity Concert]の、第二部のステージで、「五十嵐喜芳氏と一人娘の麻利江さん」のバックコーラスを勤めたことがあります。当時私は、香港日本人倶楽部合唱団に属し、「香港日本連合慈善音楽会」の主催者側の一人でした。所謂、手作りの慈善音楽会です。チケットの売り上げ額は全て、地元の福祉協会に寄贈することにしていました。
第一回のJoint Concertは1988年4月2,3日の二日間に亘り、ベートーベンの「Choral Fantasy、とSymphony No.9」を香港のCity Hallで演奏しました。指揮者は福村芳一氏、ソプラノは松本美和子氏、アルトは香港人、テナーはドイツ人、バスはロシア人を招聘、オーケストラは香港管弦楽団とHong Kong Sinfonietta,合唱は「日本人倶楽部合唱団」と地元の「Hong Kong Oratorio Society」。その後、第二回、第三回と続きましたが、観客の過半数は日本人を対象とするものでしたから、第四回目からは、第二部で、日本人の著名な音楽家に演奏をお願いしては、と言うことになり、先ず、五十嵐喜芳氏、佐藤しのぶ氏、鮫島有美子氏、島田裕子氏、加藤登紀子氏などの事務所にFAXで主旨を説明し、条件を提示し、出演を依頼しました。
最初に出演OKの返事があったのが、五十嵐喜芳氏でした。音楽会は勿論大成功でした。五十嵐喜芳氏と共にステージに上がった麻利江さん、と㈱五十嵐エンタープライズ社長の奥様、も音楽会と香港滞在に大いにご満足された様子でした。
島田裕子氏は日程が詰まっているので、次回には是非香港に行きたいと約束されました。佐藤しのぶ氏、鮫島有美子氏、などは、スケジュールが空いたら考えたいと、前向きの返事でした。第五回は1992年の3月8日に行われましたがこの時は約束どおり、島田裕子氏が来港され、気さくなお人柄が好評で、音楽会そのものも大成功をおさめました。帰国命令を受けていた小生は、この2日後の3月10日に家族帯同で帰国しましたが、「香港―日本連合慈善音楽会」は、2004年の第十七回まで続いたと後輩の便りにありました。
それにしましても、あのお元気だった、五十嵐喜芳氏が他界されるとは、今も信じられませんが、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
|
|